重盛さと美の不可解な謎と実家の看板屋!母や兄との貧乏エピソード

sponsored Link

めちゃイケメンバーの重盛さと美さん、カワイイですよね^^

でも、重盛さと美さんについて調べていると結構不可解な謎も多いことに気が付きました。

重盛さと美さんの実家はおじいさんの代からの看板屋さんです。

この看板屋のおじいちゃんは実は凄い方なんです^^

幼いころは貧乏もされたようで、お母さんやお兄さんとの色々なエピソードもありそうです。

 

重盛さと美さんの不可解な謎!

重盛さと美

 

重盛さと美さんは、福岡県の出身です。

福岡市立東光中学校を卒業後、福岡市南区にある私立の第一経済大学付属高等学校に進学されました。

重盛さと美さんの人生は結構浮き沈みの激しい、ジェットコースターのような人生だったようですが、いろいろ調べてみると不可解な謎も多いのです(^^;;

お父さんはどうやら福岡市内で事業をされていたようで、重盛さと美さんは以前ある番組で「実家にお手伝いさんがいる」と話していたことがありました。

高校も私立の高校に進学されているので、そこそこ贅沢な暮らしができていたのではないでしょうか。

ところがある日、お父さんが事業に失敗されたのか、借金を抱えて極貧生活に陥ってしまったようです(涙)

ただここで一つ疑問が生まれます。

不可解な謎①です。

重盛さと美さんの極貧生活については、またこの後でお伝えしますが、1本のコーラを兄弟で分けあったり、家電製品の絵が書きたくても家に家電製品が無かったとも言われています。

そんな家庭でどうして私立の高校に進学出来たのでしょう?

一旦沈んだ事業が再び盛り返したのでしょうか?

重盛さと美さんのご両親はどうやら離婚をされたようです。

お母さんは実家の三重県松阪市に戻られ、重盛さと美さんは高校2年生の2学期まではお父さんと一緒に福岡で暮らしていました。

しかし、重盛さと美さんは高校2年生の2学期からは、お母さんの実家である三重県の松阪市に引っ越しをされたようです。

なぜ、高校2年と断定したかというと、この時期に学校を転校されているからです。

転校された学校は、クラーク記念国際高等学校です。

ただここでまた不可解な謎②が発生しました。

それは、重盛さと美さんが高校2年生で転校したとされるクラーク記念国際高等学校は、三重県には存在していないからです。

クラーク記念国際高等学校は通信制のカリキュラムもあるので、自宅から通信教育で卒業されたのでしょうか?

それとも、重盛さと美さんがお母さんに引き取られた時期を、私が勝手に高校2年生時と決めつけているだけで、クラーク記念国際高等学校の福岡中央校へ転校されたのか?

それならそれで、また不可解な謎③で、なぜ同じ私立の高校で転向する必要があったのか?

重盛さと美さんは、「踊る!さんま御殿!!」にお母さんと親子で出演されたことがありました。

その時お母さんは、重盛さと美さんが高校に通う3年間、毎日お弁当はブロッコ-、玉子焼き、ウインナーを作り続けたと言っていました。

ということは、やはりご両親の離婚は重盛さと美さんの高校卒業後ということでしょうか?

重盛さと美さんの芸能界デビューは高校卒業直後なので、そうするとなぜそのタイミングで三重県に引っ越す必要があったのかです(^^;;

更にもう一つ追い打ちを掛ける謎があります。

それは、重盛さと美さんの実家とされる三重県松阪市のお母さんが代表を務める看板屋さんです。

お母さんの実家は「世古美装店」といい、お母さんの旧姓は世古よし美さん

当然、ご主人と離婚をされたのであれば、現在は世古よし美に戻っているはず!

ところが、「世古美装店」の現在のホームページを見ると、代表者の名前は「重盛よし美」???

 

世古美装店

どうして重盛のままなのでしょう?

もう不可解な謎④なのか⑤なのかも分からなくなってきました(^^;;

重盛さと美さんは、以前ヤンキーの彼氏と交際していた時期があったようです。

ですが、その彼氏も現在は真面目になって重盛さと美さんのお父さんの会社で働いているそうなので、お父さんはお父さんで現在も事業を続けているということですよね!

何だか謎が多くてスッキリしませんが、次のコーナーへ進ませていただきますね(^^;;

 

重盛さと美さんの実家の看板屋のおじいちゃんが凄い!

実家、看板屋

 

先程少しご紹介しましたが、重盛さと美さんの母方の実家は「世古美装店」という看板屋さんです。

開業されたのは「世古 齊」さん

恐らく重盛さと美さんのおじいちゃんに当たる方だと思います。

この重盛さと美さんの実家のおじいちゃんは結構凄い方なんです^^

世古 齊さんが、世古美装店を創業されたのは1954年(昭和29年)です。

そして、世古 齊さんは一代で現在の会社を築き上げられました。

ただ世古 齊さんが凄いのは、会社を大きくしたからではありません。

その技術や地域貢献が素晴らしいのです。

それを評価された結果がこちら

平成17年度の厚生労働大臣賞の「現代の名工」に選出されています。

このことからも、看板作りの腕前が確かなことが伺えます。

また、平成19年度の秋の叙勲で旭日双光章も受賞されています。

この賞が企業経営者に贈られる場合は、「国際的に高い評価を得た企業や技術が特に優秀な企業の最高責任者」に贈られるとなっています。

重盛さと美さんは現在、天然とかおバカキャラで人気ですが、おじいちゃんは立派な人だったんですよ^^

 

重盛さと美さんの母や兄との貧乏エピソード

sponsored Link

 

重盛さと美さんは、子供の頃に貧乏をされていたというお話を、この記事の最初に少しだけさせていただきました。

お父さんの事業が失敗したのか、借金が2,000万円ほどあったそうです。

重盛さと美さんは末っ子で、上にお兄さんとお姉さんがいらっしゃいます。

ですが、家が貧乏になった時には、コーラが一人1本飲めなくて、家族5人で1本のコーラを分けあって飲んでいたそうです。

その時のルールが、「1回のどがゴクって鳴ったら次の人に回す」といったような約束だったようです。

でも、一番小さかった重盛さと美さんは、1回に少ししか飲めないために、悔しい思いをしていたそうです。

そのため、その反動で今はコーラを日に5~6本飲むこともあるそうですよ(^^;;

また、看板屋の優秀なおじいちゃんのDNAをもらっているので、絵は得意なようです。

そこでお母さんが重盛さんに油絵セットを買ってきて、家電製品を描くコンクールに絵を出品するように薦めたそうです。

でも、描きたくても家に家電らしい家電がなくて、しかたがないのでヤカンの絵を描いたんだそうですよ。

重盛さと美さんの趣味は「安い洋服を買うこと」とプロフィールに紹介されています。

早くメジャーなタレントさんになって、いっぱい稼いでお母さんにも楽をさせてあげられるといいですね^^

という訳で、私が不可解に感じた重盛さと美さんの謎や、母方の実家の看板屋さんのおじいちゃんが実は凄い人だったというお話をさせていただきました。

最後には、お母さんやお兄さんたちとの貧乏に耐えたちょっとしたエピソードも加えさせていただきました。

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

Sponsored Link

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ